丁寧に描かれる人間のずるさと喪失感-『CLOSE/クロース』あらすじと感想(ネタバレあり)

映画『CLOSE/クロース』オフィシャルサイト|https://closemovie.jp/

映画『CLOSE/クロース』を観ました。

『CLOSE/クロース』は、2022年カンヌ国際映画祭で上映され、グランプリを受賞した作品です。

監督はベルギーのルーカス・ドン監督で、2018年にGIRL/ガールで長編デビューし、その年のカンヌ国際映画祭でカメラドールを受賞しています。

あらすじは以下です。

13歳のレオとレミは、24時間ともに過ごす大親友。中学校に入学した初日、親密すぎるあまりクラスメイトにからかわれたレオは、レミへの接し方に戸惑い、次第にそっけない態度をとってしまう。気まずい雰囲気のなか、二人は些細なことで大喧嘩に。そんなある日、心の距離を置いたままのレオに、レミとの突然の別れが訪れる。季節は移り変わるも、喪失感を抱え罪の意識に苛まれるレオは、自分だけが知る“真実”を誰にも言えずにいた…。

映画『CLOSE/クロース』オフィシャルサイト|https://closemovie.jp/

このような、幼い子どもが持つ同性への憧れや強い愛情の描写に共感する人は多いのではないかと思います。

フロイトは性理論に関する話の中で、「人間は自己愛→同性愛→異性愛の順に性愛を発達させていく」というようなことを書いていましたが、私もこんな幼い同性愛的な描写をみると、過去のさまざまな記憶がよみがえります。ちなみにフロイトによれば同性愛はナルシシズムの一環だそうです。私も幼少期の同性愛に限っていえば、自己愛の延長線上にあるという話は納得です。

※フロイトの性理論について書かれているのは多分これです↓

ちなみにルーカス・ドン監督はゲイであることを公言しています。

フロイトの性愛の話と監督のセクシュアリティの話をしましたが、この映画自体は性の匂いのしないきわめてプラトニックな絆が描写されていると思います。

※ちなみに先日、公式サイトから内容に関する注意喚起が出されました。心配な方はこちらを確認してから鑑賞するのがおすすめです。

目次

崩れるユートピア

主人公レオは近所に住むレミと家族ぐるみの付き合いがあり、寝食も共にする仲でした。ごく近い距離で会話をし、遊び、さまざまのことを共有します。2人が花畑を駆ける場面や、眠れないレミにレオが物語を話してきかせる場面、レオとレミの母親がレミのお腹を枕にして寝そべり3人で談笑する場面は印象的です。

監督によるとここの15分は2人のユートピアを表現するため、クローズアップで撮影しているそうです。

そんな2人は13歳、中学校に進学します。2人は教室でも普段通りの距離感で仲睦まじく過ごすのですが、そんな彼らをみたクラスメイトの女子は「付き合っているの?」と尋ねます。ここでレオは動揺し、強い口調で否定します。しかしレミは黙っているだけでした。それからレオはたびたび男子からも「オトコオンナ」などと揶揄われ、次第にレミと距離を置くようになります。

このあたりからのレオのずるさとか2人のすれ違いの描写がすごいです。

たとえば、2人はよく想像の世界で遊んでいたのですが、レミと距離を置こうとするレオはそれに乗らなくなります。「ほら、足音が聴こえるだろ?」とレミが言っても「なにも聴こえないよ、もう帰ろう」と突き放します。

レミにとって決定的だったのは、レオがなんの連絡もなしに彼を置いて学校に行ったことでした(レオにとって決定的だったのは、レミから離れて新しい居場所を見つけるためだろう始めたアイスホッケーにレミが黙ってついてきたことでしょうか)。

先に学校に着いて友人らと談笑するレオにレミは「どうして先に行った?」「ぼくを置いていった」とレオを責めます。レミはどうしてレオが自分を突き放すのかを訊きたかった。しかしレオは「朝ごはんを早く食べおわっただけ」「たいしたことじゃないだろ」と、とぼけます。レミは会話をするところまでたどり着けません。

そんなレオにレミは掴みかかり、取っ組み合いになります。先生に引き離された2人は、黙ったまま涙を浮かべています。

そしてその後すぐ、レミは自死を選びます

13歳の不安定さ

幼少期の兄弟のような友だち。しかし、成長し環境が変わると同時に関係も変化していきます。少し疎ましく思ったり、思われたり、お互い他のもっと気の合う友人とつるむようになったりします。覚えのあることではないでしょうか。

自分の気持ちを伝えるには、レオは幼すぎました。だから、今までのレミとの絆や暗黙のルールをもともとなかったかのように振る舞うことで、距離を置こうとしました。新しい環境に混乱し、自分のことで精一杯になっていました。

ただクラスメイトに揶揄われたから距離を置きたい、とか親兄弟に感じるような面倒くささをレミに思った、などと端的に説明できるようなものではなかったのかもしれません。レミを突き放した直後に彼の横顔を以前のように柔らかい眼差しで見つめるシーンもあって、レオの心が不安定なのが伝わります。

でもレミはレオのように揺れ動くことはありませんでした。クラスメイトに揶揄われても、レオと今までのように親しくすることを選びました。でもレオは自分との絆よりも、他者からどう見られるかということを優先し、あまつさえ今まで築いた親しさすらなかったかのように振る舞いました。話をしたくても、レオは以前のようには寄り添ってくれず、ただ静かに自分を拒絶するだけでした。

しかし、レミのように自分の考えや行動を貫くことができる13歳の子どもはどのくらいいるのでしょう。レオのように狭い世界のわずかな声で大きく揺らぎ、崩れてしまうものではないでしょうか。

レミの自死に対する罪を、どうしてレオに問えるでしょう。レオの行為はずるくむごいものでしたが、レミの自死の責任を追及できるほど非人道的なものではなかったように思います。

レオは他者の視線や声に揺らいでしまう弱さや親しい者に対する甘えがあったのに対し、レミにはそういうものに動じない強さと友人に対する誠実さがありました。これは不安定な時期の2人に起きた、取り返しのつかない悲劇でした。

レミがいなくなった後の世界

この映画は、レミが自死した後の描写の方が長いです。その後は台詞も展開も少ない静かな作品だと思います。最後はレオがレミの母親に自分の行為を告白し、物語は幕を閉じます。

レミの自死まではこちらの感情を激しく揺さぶる場面が多いので、後半に物足りなさを感じる人もいるでしょう。

たとえば、レオがレミの死を知るまでの描写はすごいです。

校外学習にレミが来ていないことを気にしながらも、他の生徒たちとじゃれあうレオ。バスに戻ると教師たちが険しい顔で通話をしています。他の生徒たちは特に気にしていませんが、レオはなにかを感じて教師の様子をじっと見つめています。すぐ学校に戻ることになるが、校舎に着くと生徒たちの保護者が集まってきています。生徒たちも異常に気づき、ざわつきます。レオはただ黙っています。教師が生徒たちをバスから降ろしますが、レオだけは降りられません。降車を促す教師にレオは「レミになにかあったの?」「病院にいるの?」と訊きます。教師は「あの子…」と言葉を詰まらせ、「もういないの」と。レオはバスを飛び出し、レミの家に自転車で向かいます。そこで壊されたレミの部屋のドアノブを見ます

そしてこの場面以降、物語は静かに進んでいきます。

レオが自分からレミの話題を出したのは、兄に言った「苦しんだかな」「会いたい」という言葉と、レミの母親への告白の場面くらいでした。しかしレミが死んですぐ、先生から個人的に「なにか質問はある?」と問われたときに1つだけ「だれが見つけたの」と訊いたのは印象的でした。先生は「お母さんよ」と答え、おそらくそれはレオの予想通りでした。その後、レミの母親を見かけるたびにレオは彼女を見つめます。レオはレミの生前、彼の母親とも友人のように接していました

レオがなにを思ってレミの母親を見つめていたのかは語られないが、自分の後悔や苦しさばかりに飲み込まれず彼女を気にしている様子は胸を衝きます(兄への「なにかのこしたかな」という台詞や、レミの部屋でレミの遺書を探すような場面があり、レミの母親がどの程度自分たちの間にあったことを知っているのか恐れ、探っているようにもとれるが、わたしはやはりレミを最初に見つけた母親の心を気にかけていたように思います。ちなみに、この映画は登場人物たちの気持ちが語られることが少なく、またレミの死因やその理由も明確には描かれません。つまり、レミが自死したとははっきりとは誰も言わないし、それの原因がレオであるかどうかも不明です)。

レオはレミが死んでからも「休んだら?」という家族の言葉を無視して、普段通りの生活を送ります。普段通りの生活をしようと努めて、実際、毎日学校に通い、アイスホッケーの練習にも参加します。涙を流す場面がほとんどなかったり、笑顔をたびたび見せたり、先生への質問がレミのことではなく遺族を慮ったものだったのは、過去や死よりも未来や生に目を向けようとするレオの姿勢の表れでしょうか。

1人で花畑を駆ける

わたしがこの映画で特に好きなのは、レミが死んでから一度もレミの姿が映されないところです。レミが死ぬのは映画の半分もいかない箇所なのですが、その後、二度と出てこないのです。

特に、レオが花畑を駆け、振り返る最後のシーン。ここに序盤での2人で花畑を駆けるシーンを重ねたら、エンドロールでの鼻を啜る音も多かったかもしれませんが、レオは1人で花畑を駆け、1人振り返ったところで閉幕します。

死んだ人間と再会することはできないし、語りかけてもくれない。創作とはいえ安易に回想シーンが入らないことでレオの「会いたい」が胸を打ち、観客の間にも喪失感が広がりました。

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